送り盆
予定では13時ごろから京都へ向けて出発する予定だったが、昼ごろに起きた地震のせいで東京までの電車がストップし、帰れなくなってしまった。
というわけで、急遽送り盆に参加。
ご先祖様をお墓まで送っていった。
我が家は神式なので、墓前で二度お辞儀し、二度手をたたき、再度二度お辞儀をするのが正式なお参りの仕方。
子供のころは、同じ行事であるはずのお盆の迎え方送り方でも、親戚の家では仏式、うちでは神式と、お辞儀の回数や、手をたたくかたたかないかなどの細かい礼儀が完全に混乱していた。
宗教上の違い、とでも説明してくれればまだ分かりやすいものを、うちの家族はその場その場でやり方だけ教えるので、非常にわかりにくかったのだ。
もちろん初詣に行っても、神社・お寺でお参りの仕方が違うが、先のこともあって、恥ずかしながら、この新年の行事に区別がつくようになったのもつい最近のことだ。
私が生まれるずっと以前に亡くなったご先祖様は一体どんな人だったのだろう…と思いながらお参りをすませた帰り道、ふと先日親戚同士で行ったお墓参りでの話を思い出した。
親戚こぞって参ったお墓は、少し遠縁にあたる人のお墓だったため、私がその墓地に行ったのは今年が初めてだったのだが、寺社仏閣に属していない割には良く整備された共同墓地だった。
墓石があるお墓もあれば、墓石がないお墓もある。
また、墓石がないお墓の周りは、墓石があるお墓に比べて周囲の更地の面積が広めである。
お参りするお墓は墓地の正面向かって右手奥にあった。
最近亡くなったらしいその人の霊を弔うべく墓石を磨いたり、お花を供えたり。
一緒に来ていた親戚がこのお墓に眠る人の生前についていろいろと話し込んでいる。
何気なく聞いているうちに、話は葬儀の方法の話に。
すると、井戸端会議に集合する噂好きのオバチャンよろしく、なんとも衝撃的なことを平然と言い出した。
「この辺は未だに土葬の習慣があるからねぇ。」
「あら?そうなの?珍しいわね。」
・・・・
絶句。
確か1992年に亡くなった井上靖が少年時代を描いた『しろばんば』での埋葬の仕方が土葬だったけれど、それは明治だか昭和初期だかの話。
この平成の世の中で、21世紀の世の中で、未だ土葬の習慣があるとは本当に衝撃の事実である。
何とか衛生法みたいな法律にひっかからないのだろうか?などと冷静に現実的なことを考えてしまう私。
たぶん、私が見た目の派手さ?の割りに地味な性格なのは、こういう昭和初期みたいな環境で育ったからじゃないかと思う。
お盆も終わり、一気に涼しくなるのを通り越して長袖が必要なほど肌寒くなった茨城県。
「だからお盆は終わったっちゅーねん!」
と突っ込みたくなるくらいうちの近所ではあちこちで盆踊り大会が開かれていた。
地元ながら、やはりちょっとずれた場所だな、と思ってしまった。