その奥にあるもの


お仕事終了後、秋刀魚の刺身がウマイ"えいたろう屋"(京都市中京区・・・あんまり教えたくない・・・)へ行った。


ここの秋刀魚の刺身は本当にウマイ。(もちろん、他のメニューも群を抜いてウマイ。レバサシ嫌いだけど、ここのヤツは美味しかった!)


秋刀魚は焼いたものより、ここの刺身の方が私は好きかもしれない。

生臭さもないし、薬味として添えられている茗荷や葱、生姜をハラワタが加えられたお醤油でいただく。

この一工夫されたお醤油も絶品なのだ。


身を削がれた骨と頭はフライにして出してくれる。

この骨せんべいは山椒塩で。

カリカリした食感と、山椒の香りがたまらない。

あー、思い出していたらまた食べたくなってきた・・・。


まあ、その"えいたろう屋"へGさんとRさんとともに行ったワケだが、楽しかったね。

昨日の分のブログに書いた(多分)けど、言葉には言葉として出されるモノ以外の隠れた要素がある。


Rさんは、たまに「この人」という言い方をするんだが、この「この人」という表現には相手に対する親しみとちょっとした敬意の念を私は勝手ながら感じている。

Gさんが「この人」と呼ばれていて、何だか嬉しいような羨ましいような気持ちになる。


そういう言葉のアヤみたいなものの例えで、宮本武蔵の話を教えてもらった。

"木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。"

改めて宮本武蔵の話だということを知る。(え?遅い?)


シミジミと感慨にふけっては食べ、笑っては飲み(久しぶりに梅酒をいただいた)、良い夜になりました。


"次は一乗寺にある焼肉のお店(名前失念!)か、木屋町松原にあるホルモン焼きのお店に行こう!"

とかいいながら解散。


「行こうね!!」


と、ここでアピールしてみる。

おいしいレバサシ食べたいもん!!